また、ためらった。

このページは、ソロキャンプで炊き込みご飯やトマト煮まで作りたい人に向けて書いています。道具に少しお金をかけてもいい、と考えている人です。お湯とカップ麺だけで満足できる人には、たぶん必要ありません。

僕は琺瑯メスティン工房を始める前、アルミのメスティンでキャンプ飯を作っていました。軽くて持ち運びやすい。それは本当に大きな魅力です。ただ、炊き込みご飯を作るたびに底に焦げがこびりつき、洗うために川へ何度も水を汲みに行きました。

同じ場面を知っている人は、少なくないはずです。メスティンで作る飯は美味しい、という声はよく見かけます。けれど、片付けまで含めて気軽かと聞かれると、うなずけない夜がありました。

この続きは、その夜の話から始めます。

洗う時間ではない

洗う時間ではない。

本当に嫌なのは、作る前のほんの一瞬のためらいです。今日は焦げ付かせずに炊けるだろうか。酸っぱい料理を入れたら、明日この鍋はどうなるだろうか。そう考えて、結局いつもの無難なメニューに落ち着く。

僕がそうでした。ある夜、酸味の効いたトマト煮を作ったら、鍋肌が白く曇りました。翌朝、金属特有のえぐみが料理に移っていて、半分残して火に捨てました。それ以来、トマトも梅も、メスティンには入れなくなりました。

焦げ落としも地味に効きます。冷えた油と焦げは水では落ちず、指先で削り、スポンジを一つ駄目にする。暗いサイトでヘッドランプをつけて、しゃがんでこすっている時間。あれは、キャンプの記憶からそっと外したい部分です。

道具のせいで、作れる料理が減っていく。ここでは、その理由を正確に見ておきます。

焦げるのは、腕のせいではない

腕のせいではない。

焦げるのは火加減が下手だからだ、と思われてきました。実際、キャンプの解説でも「弱火でこまめに動かす」と書かれています。だから多くの人が、うまく炊けないのは自分の技術不足だと受け取ってきました。

僕も長くそう思っていました。でも、火加減にどれだけ気を配っても、アルミのメスティンは端から焦げます。理由は素材にあります。アルミニウムは熱を伝えるのが速く、火が当たる場所と当たらない場所で、急に温度差ができる。このムラが、焦げの出どころです。

酸への弱さも同じです。アルミは酸性の食品と反応しやすく、表面の膜が溶け出して金属の味や変色が出る。これは調理器具の解説でも広く説明されています。腕とは関係のない、化学の話です。

だとすれば、選ぶ基準も変わってきます。

見るべきは、重さより素材

重さより、素材を。

正確には、その素材が料理に何をするかを見ます。熱を均一に伝えるか。酸性の料理を入れても、味と色を変えないか。そのまま食卓に出せるか。この基準で測ると、答えは琺瑯になります。

琺瑯は、金属の表面にガラス質を焼き付けたものです。家庭では、琺瑯鍋がトマトソースや果実のジャム、酸味の強い煮込みに長く使われてきました。酸に強く、金属の味が移らないことが、台所の実践として知られているからです。ここは、僕が作った数字ではなく、家庭用の琺瑯鍋という実例で確認できます。

一方で、その琺瑯をメスティンの内側に焼き付けた製品は、これまで日本にありませんでした。だから僕たちが作りました。手元に第三者の比較試験のデータはありません。あるのは、家庭の琺瑯が積み上げてきた事実と、試作を重ねた鍋です。

手に入れると、夜がどう変わるか。

献立を、片付けから決めなくていい

献立を、自由に。

片付けから逆算して献立を決めることが、なくなります。トマト煮を作る。梅を入れた炊き込みにする。今夜はどっちにしようか、と迷える。焦げ跡や翌朝のえぐみを先回りして心配することが、そもそも頭に浮かばない。

炊き上がったら、鍋のまま火から下ろして、テーブルに置く。皿は使いません。湯気の立つ鍋に直接スプーンを入れて、椅子の背にもたれる。食べ終わったら、水を少し入れて、布でひと拭き。焦げはこびりついていないので、削る作業がありません。

暗いサイトでしゃがんでこする時間が、そっくりなくなります。その分、火を見ている時間が増える。薪が崩れる音を聞きながら、二杯目をよそう。

翌朝、ザックからメスティンを出す。内側は白いまま、匂いもない。昨日の料理の記憶だけが、きれいに残っています。

最後に、次にやってほしいことを一つだけ書きます。

こんな夜に、心当たりはありませんか

  • 焚き火の前で、次の一品を作るかどうか迷ったことはありませんか。作りたい気持ちはあるのに、食べ終わったあとの鍋を思い浮かべると、手が止まる。結局、火にかけるのはお湯だけで済ませてしまう。その小さな諦めが、何回かのキャンプで静かに積み重なっていきます。
  • 川まで水を汲みに行った回数を、覚えていますか。焦げついた底は一度の水では落ちず、ボトルを持って往復する。夜露で濡れた草を踏みながら歩くあの時間は、キャンプの一部と呼ぶには、少しだけ味気ないものです。
  • 荷物を軽くするために、あえて調理を諦めていませんか。メスティン一つで完結するはずが、スポンジ、洗剤、焦げ取り、予備の水。片付けの道具が増えるほど、身軽さという最初の魅力が薄れていきます。
  • 「キャンプ飯は美味しい」という言葉に、素直にうなずけない夜がありませんでしたか。作っている最中は確かに楽しい。けれど、片付けまで含めて気軽かと聞かれると、返事に詰まってしまう。
  • 道具にお金をかけること自体には、抵抗がないほうではありませんか。安ければいいとは思っていない。長く使えて手入れが楽なら、それなりの値段は払う。そういう考え方をする人にこそ、この先を読んでほしいと思っています。
  • ソロだからこそ、料理まで自分のペースでやりたいのではありませんか。誰かに合わせる必要がないぶん、炊き込みご飯もスープも、全部ひとりで味わいたい。その願いを、道具の都合で削りたくない。
  • 焦げついた鍋を翌日まで持ち越したこと、ありませんか。その場で落としきれず、袋に入れて持ち帰る。家のシンクで、キャンプの余韻とは言えない作業をもう一度やる羽目になります。
  • メニューを決めるとき、頭の片隅で「これは片付けが楽か」を計算していませんか。食べたいものではなく、洗いやすいものを選ぶ。その順番が、いつのまにか当たり前になっている。
  • カップ麺とお湯だけで満足できるなら、たぶんこのページは必要ありません。ここで話すのは、そこから一歩進んで、火を使った料理をソロでも楽しみたい人の悩みです。自分がどちら側か、少し考えてみてください。
  • この文章は、僕自身が同じ場所で立ち止まっていた人間として書いています。売り手だからではなく、同じ夜を過ごしてきたから、次にあの夜の話をします。

面倒の正体について

  • 本当に嫌なのは洗っている時間そのものではなく、その前の「ためらう一瞬」だと感じたことはありませんか。今日は焦がさずに炊けるか、酸っぱいものを入れて大丈夫か。考えているうちに、無難なメニューに落ち着く。
  • 酸味のある料理を、いつからメスティンに入れなくなりましたか。トマト、梅、レモンを効かせた煮込み。一度えぐみが移った経験があると、その料理ごと候補から外してしまいます。
  • 翌朝、鍋の内側がうっすら黒ずんでいるのを見たことはありませんか。昨夜はちゃんと洗ったはずなのに、乾くと曇りが残る。その曇りが、次に何を作るかをためらわせる。
  • 焦げ落としでスポンジを一つ駄目にした夜を、覚えていますか。冷えた油と焦げは水では動かず、爪の先で削る。使い終わったスポンジは黒ずんで、持ち帰るのも気が引ける。
  • ヘッドランプをつけて、しゃがんで鍋をこすっている時間を、キャンプの記憶に入れたいですか。火はもう小さくなっていて、周りは暗い。その姿勢のまま十分も続くと、何をしに来たのか分からなくなる。
  • 「弱火でこまめに動かせば焦げない」と言われて、その通りにしても焦げた経験はありませんか。手を尽くしたのに結果が変わらないと、自分の技術のせいだと思い込みやすい。
  • 焦げついた部分を無理にこすって、内側に細かい傷をつけたことはありませんか。傷がつくと、そこにまた汚れがたまる。落とすほどに、次が落ちにくくなる悪循環です。
  • 料理の味そのものが落ちた経験はありませんか。金属特有のえぐみは、少量でも全体の印象を変える。せっかく手間をかけたのに、半分残して火に捨てる。あれは、地味に応えます。
  • 片付けが億劫で、キャンプの回数そのものが減っていませんか。行けば楽しいと分かっていても、後片付けを思い出すと腰が重い。道具の面倒が、趣味の頻度を静かに削っていく。
  • ここまでで一つでも当てはまったなら、それはあなたの不注意ではありません。次に、なぜこうなるのかを、素材のレベルで見ていきます。

焦げと酸の、本当の理由

  • 焦げつきを「火加減の失敗」だと片付けてきませんでしたか。実際、多くの解説が弱火とこまめな移動をすすめている。だからうまくいかないと、自分の腕の問題に見えてしまいます。
  • アルミが「熱を伝えるのが速い」ことを、長所としてだけ覚えていませんか。速く伝わるということは、火が当たる場所だけ先に高温になるということ。その温度差が、焦げの出どころです。
  • 同じメスティンでも、端が先に焦げるのに気づいたことはありませんか。中心と縁で温度がそろわない。腕でカバーしようとしても、素材が持つ伝わり方までは変えられない。
  • 酸っぱい料理を入れた翌日の変色を、「洗い方が甘かった」と思っていませんか。アルミは酸性の食品と反応しやすく、表面の膜が溶け出す。変色は、汚れではなく反応の跡です。
  • 金属のえぐみが料理に移るのを、体質や気のせいだと流していませんか。酸化被膜が溶けると、金属の味が食品に出ることは、調理器具の解説でも広く説明されています。
  • 「いい道具を使えば腕がなくても大丈夫」という話に、逆に警戒していませんか。ここで言いたいのはその逆です。腕は関係あるが、腕だけではどうにもならない部分が、素材にある。
  • これまで買い替えるたびに、またアルミのメスティンを選んでいませんでしたか。同じ素材である限り、焦げと酸の問題は形を変えて戻ってくる。買い替えでは解けない種類の問題です。
  • コーティングを足したアルミ製品を試して、剥がれてがっかりした経験はありませんか。表面の膜は、削れば減る。土台がアルミである限り、根っこは同じところにあります。
  • 「素材の性質」と言われても抽象的で、ピンとこないかもしれません。だからここでは、熱のムラと、酸との反応という二つの具体的な場面に絞って話しました。
  • 焦げるのも酸に弱いのも、腕ではなく素材の話だとすれば、選ぶときに見るべき場所も変わります。次に、その基準を示します。

何を基準に選ぶか

  • メスティンを選ぶとき、まず重さとサイズを見ていませんでしたか。それも大事です。ただ、料理を楽しむなら、その素材が料理に何をするかを、同じくらい見る必要があります。
  • 「熱を均一に伝えるか」を、選ぶ基準に入れたことはありますか。ムラなく伝われば、火が当たる場所だけ焦げるということが起きにくい。ここが、焦げの問題の分かれ目です。
  • 「酸性の料理を入れても味と色が変わらないか」を、確かめてから買ったことはありますか。トマトや梅を日常的に使うなら、この一点で使える料理の幅が変わります。
  • 「そのまま食卓に出せるか」は、ソロキャンプでは意外に効く基準です。皿を減らせれば、洗い物も荷物も減る。鍋が食器を兼ねられるかどうかを見てください。
  • 琺瑯が何かを、正確に知っていますか。金属の表面にガラス質を焼き付けたものです。だから内側は金属ではなくガラスに近く、酸と反応しにくい。
  • 家庭の琺瑯鍋が、何に使われてきたか思い出してください。トマトソース、果実のジャム、酸味の強い煮込み。酸に強く金属の味が移らないことが、台所の実践として長く知られています。
  • ここで数字を出さないことを、不親切だと感じるかもしれません。ただ、手元に第三者の比較試験データはありません。あるのは、家庭用琺瑯という実例と、試作を重ねた鍋です。そこは正直に書いておきます。
  • 「日本初」という言葉を、宣伝文句として聞き流していませんか。琺瑯を内側に焼き付けたメスティンは、これまで日本になかった。だから既存の製品と比べようがなく、僕たちが作るしかなかった、という意味です。
  • 琺瑯鍋を家で使っている人なら、話は早いはずです。あの鍋の「酸に強い」「味が移らない」性質を、そのままキャンプに持ち出せる、と考えてください。
  • 基準を「軽さ」から「素材が料理に何をするか」へ移すと、答えは琺瑯になります。次に、それを手にした夜がどう変わるかを話します。

手に入る夜のこと

  • 献立を「片付けが楽かどうか」から逆算するのを、やめられたらどうでしょう。トマト煮にするか、梅の炊き込みにするか。焦げ跡や翌朝のえぐみを先回りで心配せずに、食べたいほうを選べる。
  • 炊き上がった鍋を、そのままテーブルに置く場面を想像してください。皿は出しません。湯気の立つ鍋に直接スプーンを入れて、椅子の背にもたれる。洗い物は、鍋一つだけです。
  • 食べ終わったあと、水を少し入れて布でひと拭きする。焦げがこびりついていないので、削る作業がない。この「削らなくていい」が、夜の終わりの気分をかなり変えます。
  • 暗いサイトでしゃがんでこする十分間が、そっくりなくなる。その分、火を見ている時間が増える。薪が崩れる音を聞きながら、二杯目をよそう余裕ができます。
  • 川まで水を汲みに往復する回数が減る。焦げを落とすための水がいらないぶん、持っていく水も少なくて済む。荷物の計算が、少し軽くなります。
  • 翌朝、ザックからメスティンを出したとき、内側が白いまま、匂いもない。昨日の料理の記憶だけが、きれいに残っている。片付けの記憶ではなく。
  • 酸っぱい料理を「候補から外す」という発想が、消えていきます。梅、トマト、レモン。これまで我慢していたものを、普通にメスティンで作れる。
  • スポンジを一つ駄目にして持ち帰る、という小さな不快がなくなります。布でひと拭きなら、その布は乾かしてまた使える。ゴミが増えません。
  • 家に帰ってからシンクでもう一度洗い直す、あの二度手間がなくなります。キャンプの片付けは、キャンプ場で終わる。持ち越さない。
  • 料理を減らす理由が一つ減ると、キャンプに行く回数のほうは、静かに戻ってきます。面倒が減るとは、そういうことです。次に、手にするための手順を一つだけ書きます。

注文のあとに起きること

  • まずやってほしいのは一つだけ。このページの商品写真を、内側の琺瑯が写ったカットまでゆっくり見ること。白い釉薬の質感と、縁の焼き付けの様子が分かります。
  • 気になったら、カートに入れて注文へ進んでください。ここで新しく検討することはありません。ここまで読んで思い当たる夜があったなら、それが判断の材料です。
  • 注文後の流れを書いておきます。工房で一つずつ琺瑯を焼き付けているため、受注から発送まで日数をいただきます。発送のタイミングでメールを送ります。
  • 届いたら、最初は湯を沸かすだけの単純な調理から使ってみてください。琺瑯の熱の伝わり方が、アルミとどう違うか。派手な料理より、この単純な一回のほうがよく分かります。
  • その次の週末に、これまで入れるのをやめていた料理を、もう一度メスティンで作ってみてください。トマトでも、梅でも構いません。使える料理が戻ってくる感覚を、自分の手で確かめてほしい。
  • 使ったあとは、水を少し入れて布で拭くだけ。焦げがこびりつかないので、そこで片付けは終わります。この手軽さを一度体験すると、基準が戻らなくなります。
  • 急かすつもりはありません。受注生産なので在庫を焦る必要もない。ただ、次のキャンプの前に手元にあるかどうかで、その一泊の過ごし方は変わります。
  • もし迷いが残るなら、家に琺瑯鍋があるか思い出してください。あれば、その鍋の使い心地を、そのままキャンプに持ち出す話だと考えてください。
  • 焚き火の夜に、洗い物のことを考えずに料理を選ぶ。その状態がどんなものか、文章で読むのと、実際に一泊過ごすのとでは、印象がまるで違います。
  • やってほしいことをもう一度だけ。写真を最後まで見て、気になったら注文へ進む。そのあとは、工房からの連絡を待つだけです。

手に入るものを、改めてまとめます

  • 焦げが底にこびりつかない、内側に琺瑯を焼き付けたメスティン
  • 火の当たる場所だけが先に高温にならない、均一に近い熱の伝わり方
  • トマト・梅・レモンなど、酸味のある料理を入れても味が変わらない内側
  • 酸性の料理を入れた翌日に、内側が黒ずまないこと
  • 金属特有のえぐみが、料理に移らないこと
  • 皿を使わず、鍋のまま食卓に出せること
  • 食後は水を少し入れて布で拭くだけで済み、焦げを削る作業がないこと
  • 焦げ落とし用に川へ水を汲みに往復する回数が減ること
  • 焦げ取りやスポンジといった片付け道具を減らせること
  • スポンジを駄目にして持ち帰る、という小さなゴミが出ないこと
  • 家に帰ってシンクで洗い直す二度手間がないこと
  • 翌朝、内側が白いまま、匂いも残らないこと
  • 献立を「片付けが楽かどうか」から逆算しなくてよくなること
  • 工房で一つずつ琺瑯を焼き付けた、受注生産の一台
  • 琺瑯を内側に焼き付けた、日本で初めてのメスティン

まず、やってほしいこと

やることは一つ。

このページの商品写真を、内側の琺瑯が写ったカットまで、ゆっくり見てください。白い釉薬の質感と、縁の焼き付けの様子が分かります。気になったら、カートに入れて注文へ進んでください。

注文のあとの流れも書いておきます。工房で一つずつ琺瑯を焼き付けているため、受注から発送までに日数をいただきます。発送時にメールで連絡します。届いたら、最初は湯を沸かすだけの単純な調理から使ってみてください。琺瑯の熱の伝わり方が、アルミとは違うことが分かるはずです。

その次の週末に、これまで入れるのをやめていた料理を、もう一度メスティンで作ってみてください。トマトでも、梅でも構いません。

焚き火の夜に、洗い物のことを考えずに料理を選ぶ。その状態が、どんなものか。まずは一度、確かめてみてください。

追伸

僕がこれを作ろうと思ったのは、川へ水を汲みに行った、あの往復の時間がきっかけです。焚き火はまだ暖かいのに、鍋の焦げを落とすためだけに、暗い河原を歩いている。楽しいはずの時間の真ん中に、こういう作業が挟まっていることが、ずっと引っかかっていました。道具の面倒さのせいで、作る料理を減らし、やがてキャンプに行く回数まで減らしていく人を、何人も見てきました。僕も、その一人でした。

僕がやりたいのは、片付けを理由に何かを諦めなくていいキャンプを、当たり前にすることです。ソロで火を使って料理をする人が、食べたいものを、片付けの都合ではなく味で選べる。その状態を、特別なことではなく普通のことにしたい。琺瑯メスティンは、そのための最初の一台です。

焚き火の夜に覚えていたいのは、鍋をこすった時間ではなく、二杯目をよそったときの手応えのほうだと思うのです。